出来はしたが…
https://youtu.be/Uxho65JQBBs?si=mmFCLWhaBqiNFpfo
ようやっと作った紙芝居を録画しアップロード。
照明、台詞、絵、語りと引き、全てに
改善点が山程…/(^o^)\
生暖かい目で見て頂ければ幸いです…('A`)
SNS<聖書
先月の某氏の対談Liveと、その翌週のスペシャルLiveの内容をメモしたものをまとめ、頭の整理がようやっと出来た(個人的なまとめ)。
特に印象に残っている事をざっくり言うと、全体像を掴むのが大事と。
今の不況、増税ばかりの状況←失われた数十年だから←それはバブル景気の崩壊から始まった←バブル景気の切っ掛けはプラザ合意←プラザ合意は123便事件の直後に締結された←123便事件以前から事件を仄めかす動きが存在した←…そんな感じで辿っていけば、旧約聖書や日本書紀、古事記の時代まで原因が遡る。
枝葉末節から枝木、そして幹を辿っていけば根っ子の部分まで観えてくると。
今の世の中を治めている人達はそこに気付いて欲しくないんだろうなぁ、と最近のSNSを見ながら思う。
最近のSNSで何千人、何万人のフォロワーがいる情報発信者(インフルエンサー)同士が「あいつは支配者側の回し者」だのお互い批判したりブロックしたりしてるようだが、どうせプロレスなのだろう。
フォロワー同士の対立や分断を煽ったり、
誰を信じれば良いか分からないようにしたいのだろう。
増税だの戦争だの食糧危機だの枠珍だのエンタメなトピックに、感情を煽るような投稿ばかりして、
そこにばかり意識を向けさせて全体像を見えなくさせるミスリード要員なのだろう。
変なSNSの投稿を見て偏った正義感を煽られるよりは、聖書の1頁でも読んだほうが、余程世の中の事が理解出来るのだろうと、最近つとに思うようになった。
大阪、静岡での思い出
先月の9月、数年前からしたいと思っていた、母方の実家の墓参りが出来て良かった。
そして静岡で親族の方や知り合いの方に色々な事を話せて相談に乗って頂き、気持ちの整理が出来て良かった。
そのような運びとなった経緯も思い返せば不思議だった。出来事を要点で箇条書きにすると…
・おかしなムーブメントがこれでもかと起こっていた8月。
8月15日辺りに日本経済が破綻し、サバイバル状況となる可能性が回避される。
・世の中がワヤになる流れで自分自身のワヤな人生、在り方を誤魔化そうとしてはいけないと思うようになる。
今年で35歳になった私、週7で働いている半端なアルバイト(サバイバル対策も進められていない)ではなく、休日のある正社員として働き、休みの日にサバイバル対策を進められる環境に身を置きたいと思うのうになり、転職活動を進める。
・畜産系の転職サイトに登録し、転職エージェントさんの助けもあり、北海道の酪農牧場の正社員の内定が割りとスンナリと出る。
・色々事情があり全く連絡しない母に、内定が出た事を連絡。そこで実家の状況を知る。
母方の実家への墓参りはOKが貰える。
・知り合いの方に内定が出た事をメールで連絡。
北海道の農業が持続可能なモノではない事を教えて頂き、自分で調べたら、酪農の牧草も農薬や除草剤、化学肥料を大量に使って栽培している事を知る。
・実家の危険な状況と、北海道での酪農業の先行きが危うい可能性を知った私。散々悩んだ結果、今回出た内定はお断りさせて頂いた。
・私の居る養鶏場に知り合いの方が訪れて下さり、色々とお話と相談に乗って頂いた。
・母から母方の親族の方が、私に母方の祖母の墓参りに来て欲しいと言っていたと聞く。
・金曜日の作業後に車で静岡に向かう。
翌日、母方の祖母の墓参り。前日が祖母の命日だった。親族の方に相談に乗って頂いた。
その後、知り合いの方と合流。色んな事を話せた。
私は結論を急ぎ過ぎるという癖があるようで、
広く焦らず先を決めて進んだほうが良いと教わる。
・現在は、諸々の身辺整理中。
環境を変え、先に進む為にやるべき事と、やりたい事を消化しつつ転職情報を見ている感じ…。
何とか今月中に、一つの大きなやるべき事を片付ける為に少しずつ行動中…。
言語はインフラ
●「日本人の識字率は世界一」、
「日本のサブカルチャー文化は世界一」と言う。
「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる」
という有名な金言も存在する。
だけど自分には、考えるという行為自体がそもそも言葉(言語)によって規定されているように思えてならない。
言語は思考様式を規定し(考えは言葉に基づき)、
それは行動様式に現れ、大衆操作にも繋がる…
そんなようなイメージ。
小説「1984年」には「ニュースピーク」という、
大衆支配を容易にする為に語彙を貧弱にさせた言語を政府が作ろうとしている話が載っていたのを読んだ覚えがある(その本も実家に置きっぱなしなので回収して読まねば…(^o^;)💦)。
語彙が貧弱→単純な事しか国民が考えられなくなる→政府が国民をコントロールしやすくなる…
確かこんな図式だった筈。
同じ事が実は日本語にも当て嵌まるのではないか?と自分には思えてならない🤔。
日本語自体も文字の数や漢字の字体や画数が減り、簡略化されてきた。漢字によっては使用が廃止され概念が消えたものもある(「そしじ」とか)。
漢字が残り、表す概念が残ったものでも體→体のように、文字に込められた霊的な力が削ぎ落とされたものを使用するようになった(自分には霊的な感性は無いが、霊能力のある人曰く)。
国民が使っても構わないもの(社会を運営する為に最低限必要なもの)は残され、そうでないものは概念は残し文字の力は削るか、概念ごと消し去った(国民がその概念について考えられないようにした)のだと思う。
お上に都合が悪いものは国民に与える訳が無い。
そして日本人の識字率の高さは日本人の優秀さを表すものとかでは全然無い。
Q:なぜ日本は世界一識字率が高いか→
A:お上が標準語を作り、それを基に学校教育が行われてきたから。
同じ言葉、同じ教育、同じ格好(制服)、同じ空間(教室)。だから日本人はコントロールしやすいのだろうか。そもそも操りやすい国民を作る為の国民教育だが。
別に国家は国民に教育によって自由で豊かな人生を送って欲しいなど微塵も思っていない。
だが学校教育という強制的に勉強をさせる仕組みが無ければ文字の読み書きも禄に自分で学習出来ない者達ばかりなので、仕方無くやっているという面もあると思う(そうしないと最低限の国家の体裁も維持出来ない)。
お上に操作される為の言語、教育、メディア、娯楽…。全て言葉に寄るもの。言葉に踊らされる人達。
感染症騒ぎやらテレビのニュースに一喜一憂右往左往する現代の日本人の様相を観る限りでも、
大衆の心理操作の流れを作る為に世界一豊富なサブカルと世界一報道の自由度が貧しいマスメディアが日本に存在する事は如実に解るが、そもそも言葉自体にも仕掛けがあり、それによって考えが規定され、感情が煽られ、行動も誘導されているのだと思う。日本人識字率の高さというのは、大衆操作の為のインフラのようなものか。
言葉が使えなくても愚かで、言葉が使えても愚かで…。古代人が現代人の様子を見たら嘆くだろうなぁ。
縄文人とかは松果体が現代人の50倍くらいの大きさがあったという。どうもその部位が通信装置?のような役割を持っているらしく、縄文人は動物や無機物ともテレパシーのような方法で会話が出来たのではないかと推察する人もいる。
また、分かる範囲だけでも2000種類以上の古代言語が存在したとも聞く。
世界を音で表し、それと調和を保つ形で音の、言葉の力を古代人は使用していたらしい。
一方の現代人は世界との調和なんて知ったこっちゃない、クソ喰らえな様子で、各々が各々の利益の為に好き勝手に言葉を作り、使い、禁じている始末。
国が滅ぶ兆候として、会計の粉飾と言葉の乱れがあるという。買春→援交→パパ活。窃盗→万引き。
何となく言葉をポップな感じにすれば罪悪感も軽くなる的な。
国やメディアも、おかしな造語を乱造する始末。
「すず」だとか、シンクロニシティ、この世界のプログラムに基づいた破滅を誘発するキーワードを人々の意識に植え付けなくとも、別に今のままでも、この世は滅ぶのではないか?とも思える今日この頃。
俯瞰だけでなく(それもかなり感情的な見方が入っているが)、少しでも現状を良くする為の事を考えると、求めるべき方向性としては、言葉にも現代文明の範疇にも収まらない行動が必要なのだろうが、それが何かは私には解らない。
滅びを前提として現代文明は組まれているのだから、そこで生きている、破滅的な方向性に向くモノや役に立たないモノしか知らない自分には皆目検討もつかない。
長文を書くのは疲れる…(ヽ´ω`)
論理展開がおかしな所もあるが、ブログを書き慣れていけばこなれていくのだろうか。
ようやく漕ぎ出せてきた(♨☢のお陰)
ようやくブログ編集という新しい事に漕ぎ出せてきたかもしれない。
このブログ文章自体、少し遠方の露天風呂が良い感じの銭湯♨☢に出たり入ったりしながら、書いては入りを繰り返して、ようやく書けている始末。
普段のダルい感じだけでは、時間があっても中々文章を書く気にはなれず…('A`)
気分転換&体力、気力の回復が無いと長文も書けない私の貧弱さよ…/(^o^)\
まぁしかし、温泉♨☢の力を借りてでも漕ぎ出せただけでも良しとするか。
給料日が今月の5日で、使える範囲の所持金も僅かなので、部屋であと3日間、働きに行く以外は外出せず(外に出たら金が掛かるので)、具体的な形にする為のアレコレをブログ文章などでまとめる事にする。
金を掛けず、何処まで出来るかを確かめてみる。
自分との小さな約束。
35歳。はてなブログに手を出した理由。
歳を取ると新しい事を始めるのが億劫になる。
自転車を漕ぎ出してスピードが出てからは運転がしやすいが、漕ぎ出すまでが億劫である。
歳を取り、10代、20代の頃よりも体力、気力が衰えているなら尚更である。
そんな事を「あれやりたいな、これやりたいな」と週7で働きながら、時々思い出しながらダルさと共に先送りにし諦めていて、気付けば35歳の私である。
だがぼちぼち年貢の納め時というか、人生の転機を図る為に身辺の整理に手を付けなければならないタイミングとなってきた。
格好付けるつもりは無く、要は現状維持を図るよりも現状変化を図るほうが楽だからである。
この辺の事を詳しく書くとキリが無いので割愛するが、新しい事を色々と始めてみたくなり、
手始めとしてブログで自分の考えている事の棚卸しと整理をしようと思った次第である。
Facebookで長文を書いて知り合いにリンクを送っても、Facebookのアカウントが無いとページを開く事も出来ない仕様だそうなので、考えた事の内容をリンク🔗しやすい「はてなブログ」に手を出した次第である。
自分の中のドス黒い部分を直視しつつ、獣から如何に人に近付いていくかが自分の中のテーマだと捉えているので、そうした内容が主になると思う。