言語はインフラ

●「日本人の識字率は世界一」、
「日本のサブカルチャー文化は世界一」と言う。

「考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる」

という有名な金言も存在する。

だけど自分には、考えるという行為自体がそもそも言葉(言語)によって規定されているように思えてならない。

言語は思考様式を規定し(考えは言葉に基づき)、

それは行動様式に現れ、大衆操作にも繋がる…

そんなようなイメージ。

小説「1984年」には「ニュースピーク」という、

大衆支配を容易にする為に語彙を貧弱にさせた言語を政府が作ろうとしている話が載っていたのを読んだ覚えがある(その本も実家に置きっぱなしなので回収して読まねば…(^o^;)💦)。

語彙が貧弱→単純な事しか国民が考えられなくなる→政府が国民をコントロールしやすくなる…

確かこんな図式だった筈。

同じ事が実は日本語にも当て嵌まるのではないか?と自分には思えてならない🤔。

日本語自体も文字の数や漢字の字体や画数が減り、簡略化されてきた。漢字によっては使用が廃止され概念が消えたものもある(「そしじ」とか)。

漢字が残り、表す概念が残ったものでも體→体のように、文字に込められた霊的な力が削ぎ落とされたものを使用するようになった(自分には霊的な感性は無いが、霊能力のある人曰く)。

国民が使っても構わないもの(社会を運営する為に最低限必要なもの)は残され、そうでないものは概念は残し文字の力は削るか、概念ごと消し去った(国民がその概念について考えられないようにした)のだと思う。

お上に都合が悪いものは国民に与える訳が無い。

そして日本人の識字率の高さは日本人の優秀さを表すものとかでは全然無い。

Q:なぜ日本は世界一識字率が高いか→

A:お上が標準語を作り、それを基に学校教育が行われてきたから。

同じ言葉、同じ教育、同じ格好(制服)、同じ空間(教室)。だから日本人はコントロールしやすいのだろうか。そもそも操りやすい国民を作る為の国民教育だが。

別に国家は国民に教育によって自由で豊かな人生を送って欲しいなど微塵も思っていない。

だが学校教育という強制的に勉強をさせる仕組みが無ければ文字の読み書きも禄に自分で学習出来ない者達ばかりなので、仕方無くやっているという面もあると思う(そうしないと最低限の国家の体裁も維持出来ない)。

お上に操作される為の言語、教育、メディア、娯楽…。全て言葉に寄るもの。言葉に踊らされる人達。

感染症騒ぎやらテレビのニュースに一喜一憂右往左往する現代の日本人の様相を観る限りでも、

大衆の心理操作の流れを作る為に世界一豊富なサブカルと世界一報道の自由度が貧しいマスメディアが日本に存在する事は如実に解るが、そもそも言葉自体にも仕掛けがあり、それによって考えが規定され、感情が煽られ、行動も誘導されているのだと思う。日本人識字率の高さというのは、大衆操作の為のインフラのようなものか。

言葉が使えなくても愚かで、言葉が使えても愚かで…。古代人が現代人の様子を見たら嘆くだろうなぁ。

縄文人とかは松果体が現代人の50倍くらいの大きさがあったという。どうもその部位が通信装置?のような役割を持っているらしく、縄文人は動物や無機物ともテレパシーのような方法で会話が出来たのではないかと推察する人もいる。

また、分かる範囲だけでも2000種類以上の古代言語が存在したとも聞く。

世界を音で表し、それと調和を保つ形で音の、言葉の力を古代人は使用していたらしい。

一方の現代人は世界との調和なんて知ったこっちゃない、クソ喰らえな様子で、各々が各々の利益の為に好き勝手に言葉を作り、使い、禁じている始末。

国が滅ぶ兆候として、会計の粉飾と言葉の乱れがあるという。買春→援交→パパ活。窃盗→万引き。

何となく言葉をポップな感じにすれば罪悪感も軽くなる的な。

国やメディアも、おかしな造語を乱造する始末。 

「すず」だとか、シンクロニシティ、この世界のプログラムに基づいた破滅を誘発するキーワードを人々の意識に植え付けなくとも、別に今のままでも、この世は滅ぶのではないか?とも思える今日この頃。

 

俯瞰だけでなく(それもかなり感情的な見方が入っているが)、少しでも現状を良くする為の事を考えると、求めるべき方向性としては、言葉にも現代文明の範疇にも収まらない行動が必要なのだろうが、それが何かは私には解らない。

滅びを前提として現代文明は組まれているのだから、そこで生きている、破滅的な方向性に向くモノや役に立たないモノしか知らない自分には皆目検討もつかない。

 

 

長文を書くのは疲れる…(ヽ´ω`)

論理展開がおかしな所もあるが、ブログを書き慣れていけばこなれていくのだろうか。